『南浜墓地・地蔵尊の由来』
南浜墓地は行基菩薩(約千三百年前)によって整地され我が国最初の墓所であって天平十九年七月弥陀如来六観音六地蔵尊を安置し荼毘開闢の供養が行はれた。その後世相の変遷により次第に荒退し大正十四年豊崎町より大阪市に移管された。
天満の住人秋田羅以(らい)は日頃嫡子を望み、神佛に祈願してゐた処ある日一人の行者が訪れ「南浜墓地の南浜地蔵尊を信仰せよ必ず願は叶へらる」と言って立ち去った。早速地蔵尊を祈願をかけたところ霊験あらたか明治二十四年一月九日男子(栄之助)が授けられた。その御恩報謝として同年九月に現存の地蔵尊石佛並御堂が建立され今日に至った。
昭和六十年一月二十日 道引き地蔵講世話人
『源光寺』
入江長者が娘の病を治した行基に土地を寄進し、天平19年(747年)聖武天皇の勅願寺として開山。平生寺と称す。 天治元年(1124年)良忍和尚が中興し、融通念仏宗に改め、念仏宗一派の本山とす。
建永元年(1206年)勝尾寺から法然上人が四天王寺へ日想観を修するために赴く途中、行基ゆかりの寺の荒廃に「源をはづねてぞ知るこの寺の 光あまねき法のともしび」と詠み再興に尽力し、この歌から源光寺の名をとり、浄土宗に改めた。
今は大阪市が管理しているが、無縁仏も多いこともあり中崎町という場所にありながら、別空間のような印象も受けた。源光寺から南濱墓地の間も含めて墓地であったと聞く。墓地を残すこと、そして訪れることが必要だと思った。