7/18 (日) FOuR DANCERSvol.199

 7/18 (日) FOuR DANCERSvol.199に参加させて頂きます。17時半スタートになります。場所は京都の木屋町にあるUrBANGUILDです。

ダンスをぜひライブで楽しんで頂けたら幸いです。

http://urbanguild.net/event/7-18-sun-four-dancers-vol-199/


菊池航/平山ゆず子/SiMA

藤原美加

伊藤まき

大歳芽里


*京都府からの営業時間短縮要請を受けまして、開場開演時間が変更になりました。

主催:AccorDance

*受付での手指の消毒、及びマスク着用でのご入場をお願い致します。


19時半ラストオーダー(酒類は19時)、20時閉店とさせていただきます。


◇ OPEN 17:00 / START 17:30

◇ adv.2200 yen + 1drink / door.2500 yen + 1drink

◇ dancer. 1600yen + 1drink

見ないダンス

 明日 7/11(日)

伴戸千雅子さんの「見ないダンス」に、川瀬亜衣さんと参加します。

少人数のみでの公開になりますので、記録は後日ブログにアップされる予定です。



詳細

 https://note.com/ugokimeguru/n/n84f4937fbf8e


[ある日のメモより]

 一つの感覚を閉ざすことで別の感覚が鋭敏になる、または別の機能を失うとも言われる。実際「見ない」とした時に知覚する身体を得るために、この実験はなされるのではないと思っている。

 視覚芸術に対してのアンチテーゼでもなく、エレジーでもなくシンプルに「見ないダンス」というものがどういうものか伴戸さんはやってみたいのだという理解で、私は参加している。

  ダンス、踊るという行為、もしくは何かを起こし立ち上がらせる動きを声に置き換えるわけでもない。

「この試みをダンスとよぶのかどうかわからないけど」というエクスキューズをして、ただ息を吸い吐くという体としてはじまる。

 日常生活を営む個(一つの記号としての存在)を引きずり、場に身を馴染ませる。人との境界を想像力でなくし、触覚を失うことで一体化して、空間を物語によって移動する。時間を刻むということに疲弊してあきらめて、私ではない何かになる。「見ないダンス」とはそういう試みであると思っている。それでも客として入ったら、それぞれ見たいものを見たとして、想像して何かを得た、または失ったと言うかもしれないとも思う。

 わからない、もっと言えばわかりあえないその瞬間起こる全ての複雑さを一つでも捉えて、自分にできる踊りとしたいのだと思う。「見ない」ことの対義語は「在る」ということじゃないだろうか。ここにある私ではなく、ここで起こっている現象や、無意識に頭に浮かんだ像や言葉、イメージ、物語を感想として聞けたら、この試みの先があるのかもしれない。

 途上にある内は多くの混乱があり可能性があり、だから稽古するのだと思うが、なんと愛おしい時間だと思う。人と会うことが自分にとって必要だと再認識したが、この自分にとっては見えないというフォーマットの中で心地よく身を委ねて羽をひろげられる自由さを嬉しいと思う。