帰国して、徒然

今の状況は周りの人達に恵まれていると言える。作品をつくれる状態であり、手伝ってくれる人達がいて。ただ今だに何かしらの違和感がある。それは武禅の帰り道に近い。そこで体験した者の間でしか通じない、違った物の見方。カメラで切り取ってみた視点と肉眼で見えてる範囲が違うように、何かしら毎日見過ごしていくような錯覚を覚える。2つある目の内1つは眠っているように。それはとても微細で勘違いとも言えるのだが、日本にいなかった2年の月日は思ったより長く、コミュニケーション間で息苦しく思える瞬間がある。海外に出てそのまま留まる人と日本に再び戻る人。行き来出来るなら、それが一番良いのかもしれない。自分の経験から推し量って人のことを理解しようとしても出来ないのは分かっているが、相手が頭で処理して判断しているのを見るとその人の脳を割って回路を変えてみたくなる。自分も同じ、今日の思考と明日の思考は多少変化して、何かをきっと忘れて生きてる。良い意味でも悪い意味でも。
 今日見たマン・レイ展のビデオ上映– 夫人のジュリエットさんの回想の中ではマン・レイが死んでいず傍にいるように、出会ったものが強烈なら全て日々それを抱えて生きていくことになるだろう。人や物は形をなくし実体のないものになっても存在は残る。そう思わなければ、人の歴史はあまりにも儚い繰り返しに思える。
 帰ってきて最近友達になった人から嬉しいサプライズがあった。そしてキッチンのもので楽器演奏、リズムが作られていく。ご飯を炊くおかまと胡椒入れでワイングラスの口に水をつけて指でなぞって出す音に近い音を出してたのでびっくりした。人の性格を形成するものは何なのか一緒に考える。答えはでなかったけど。
 今週の金曜日は時代祭りと鞍馬の火祭りがあるらしい。京都の四季も刻々と移りかわっている。
 以前カナダでツアーした時、メンバーのパスポートが盗まれて稽古も出来ず散々な日があった。その時夜の公演があって昼までの空き時間折角なので一人で散歩に出たことがある。自分の目にしたもの、触れたものがきっと舞台にもなんらかの影響がある気がしていて、1日をどうすごすかも自分にとっては大事なことだ。また自分が観る立場では、作家のアートだけでなく生き方にも影響を受けて好きになるケースが多い。幸いな事に自分の周りの友達にも尊敬出来る人が沢山いる。
 これからも良い出会いがあるように成長できればと思う。